昔のパソコン雑誌に載っていた広告です。量が増えてきたので別のページにしました。










日立のMSXパソコンH2/H3/H25の広告です。
日立のMSX機の広告は工藤夕貴ちゃんを使っており、しかも毎月図柄が変わって非常にいい感じでした。
同じ8ビット機でもS1の方の広告はいつもダサダサだったのですが・・・



レオタード姿のもありました。これは反則ですね。




新しいのを見付けました。アップ画像ですね。




ビクターのMSXパソコンHC-80の広告です。
エプソンのハンドヘルドパソコンと名前が全く同じというのはちょっとアレです。
よく見たらお姉さんの顔はかなり怖いです(ケンカしたら負けそうです)。




東芝のワープロ専用機JW-10の広告です。
なんだかすごく楽しそうに文書を作っています。
左の子がクラスで一番美人だったミチヨさんに似てます。
東芝のワープロといえば、以前勤めていた会社ではRupoというマシンが標準で、
その操作性の悪さに大変苦労したものです。罫線は引いた通りのパターンでしか消せないので、
表などを作ってしまうとあとで消したり修正したりすることはまず不可能でした。
徐々にPC-98+一太郎が入ってくるとまるで天国のように使いやすくなりました。

あと、経費関係のシステムがなぜか日立の2020というマシンで、
日本語の変換がとてつもなく馬鹿で、こいつにも相当苦しめられました。

その昔、事務所の席換えの時、新しい座席表に「フローラ」というのを見付けて、
「外人の女の人が来るのか!?」と皆で話していたら、来たのは日立のダサい
パソコンだったこともありました・・・(ウソのような本当の話)

あと、ものすごく美人で優秀な新人が入ることになって、皆でワクワクしていたら
その子は新人研修の時に本社に横取りされて、代わりにその年入った中でいちばん
さえない男の新人にすり換えられたという事件もありましたね・・・。
(そいつの新人研究発表の内容が「手でムラが出ないように材料を塗るコツ」でした)






メディックスというパソコン関連備品の会社の広告です。
・・・というか、つい最近まで何の広告か理解してませんでした。
(女の子しか見てなかったです)




PC-8001mk2のマシン自体はあまりに地味なのですが、広告のお姉さんは
なかなか美人で賢そうです。このマシンにディスクドライブをつないで仕事に
使うというのはあまり無い状況のような気もしますが、元々ゲームに使う
よりもPC-8001の後継機という位置づけから考えると有り得るのかもしれません。
ホビーマシンとして考えると同じ価格帯でFM-7とぶつかってしまいますし。






YamahaのMSXパソコンには魅力的な周辺機器が沢山揃っていました。
市販ゲームなぞ無くても相当に遊べそうです。




MS-DOS搭載のPC-9801シリーズの対抗なのになぜかCP/Mを搭載してしまったFM-16βです。
あと、いくらビジネスモデルとはいえPSGぐらいは搭載してほしかったですねぇ。
(※富士通はビジネス系と決めたモデルには決して音源を搭載していません)
FM-11といいMartyといい、富士通のやることはマジでチグハグなことが多いです。
よっぽど組織としてうまく回ってないんでしょうね・・・




ベーマガに載っていた広告です。
こんなかわいくて健康的な女の子がアマチュア無線をする訳がないですね。
(などという自分は免許持ってますが・・・・)




エプソンの広告によく出てくるこのフローレンスという子は日本人とアメリカ人のハーフで、
UCLAに通う秀才だったそうです。
アメリカの億万長者と結婚して今では幸せに暮らしているそうな・・・




お姉さんがとても美人なUNIVACの広告です。
右側のマシンはずいぶんif-800に似ていますね。
左側のマシンは中々格好良いです。インテリアに1台欲しいぐらいです。
本体を小さく見せるためにお姉さんを台に乗せて撮影する小細工が泣かせます。




東芝の16ビットパソコンPASOPIA16です。
640×500ドットモノクロ表示(テキストは8色表示)というかなり微妙な画面モードを持っています。
オプションでVRAMを追加することにより256色中16表示というこの時代では
最高のグラフィック表示ができました。
しかも、MS-DOSも搭載しており、なかなか良いマシンだと思います。
FDDを1台搭載して398,000円というのはなかなかお買い得だと思うのですが、よく見たらCPUが8088ですか・・・
しかも専用ディスプレイが178,000円もするんですね。
初代PC-9801が相手ならそこそこ闘えそうですが、PC-9801Fだと話にならないかもしれませんね。




電波新聞社主催のプログラムコンテストの広告です。
当時はコンテストを開いてソフトを集めてそれを売って儲けるという商売が成立しており、
エニックス・工学社・ポニカなども同様のことをやっていました。
これを一番うまくやったのがエニックスで、当時の才能あるプログラマーを集めて
一時代を築きました。




日創のアールデシネという名前のグラフィックエディターです。
20万円近い定価のソフトの割には絵のノリが軽いです・・・。




OA机のイトーキの広告です。フロッピー用ファイルとか非常に高価です。
まあ、そもそもこの頃のフロッピーディスクは5インチでも1枚2000円位してたので、
これ位かけてもいいのかもしれませんが・・・
お姉さんの服を見てクラリス姫を思い出してしまう自分はもうおっさんですね。







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